先日、夫と夫の彼氏と3人でベトナム料理食べに行った。
新宿2丁目にある「ベトナミング」ってお店よ!
ベトナム料理大好き!
ヘルシーだからダイエットにもいいしね!
って、このあたしが「ヘルシー」なんて言葉使うなんて世も末ねw
ま、それはともかく、ベトナム料理よ。
まずは夫が頼んだ豆苗のガーリック炒め
うん、美味しい!
次は揚げ豆腐のレモングラス風味。
かき氷!!!
みんなは何味が好き?
あたしは、なんたって氷ミルクよ!
練乳好きだもん!
さっきの写真のかき氷は、白金台の「ブルーポイント」のかき氷よ。
ここのはメロンをくり抜いた容器に、ふんわり氷がテンコ盛り!
シロップはなんと、グリーンバナナと練乳なの!
グリーンバナナ大好き!練乳も大好き!
ダブルでうれしいわ!
前回予告したように、今回も「美容整形」がテーマです。
ただし私は医者ではないので、専門的なアドバイスなどはできません。
プロのアドバイスが欲しい方は、「タカナシクリニックのオフィシャルサイト」をご覧ください。
そこでは各診療や施術の価格だけでなく、私とタカナシ院長の「中村うさぎVSマッド高梨のガチBLOG!」にて、院長の専門的な説明や意見を読むことができます。
では、今回は「あゆ子」さんのご相談です。
【お名前】
あゆ子さん
【都道府県】
東京都
【性別】
女性
【年齢】
28歳
【ジャンル】
その他
【相談内容】
初めまして。
いつも楽しく購読させて頂いております。
突然ですが、私は整形を止めることができません。
元が悪いせいもあり、今まで整形に一千万くらい注ぎ込みましたが、なかなか満足できるような容姿にはなれません。
整形のお金は10年ほど風俗を続けていたり、複数の愛人をつくることで捻出しています。
以前、質問コーナーにてうさぎさんが仰った「では、その「もうひとりの私」とは何者なのか。
おそらくそれは私たちが「自分はこうありたい」と脳内で作り上げた妄想の自分なのであろうが、そもそも私はなぜそんな自分を作り上げてしまったのか。」という文章が忘れられません。
私自身、己のナルシシズムや自意識過剰に心当たりがありずっとそれに苦しんできました。
うさぎさんが仰る通り、私の中には頑なに「理想の私像」があり、尚且つその理想に近づくために私の尻を叩き続ける「もう一人の私」がいます。
うさぎさんは「この私がどうして現れたのか、考えて正体を知るべきだ」と仰っていましたが、どれだけ遡って考えてみてもその根源が分かりません。
過去、私は不細工だったので心無い人から酷い言葉を浴びせられたり、男性から酷い扱いを受けた経験があります。そして、両親にも少々不細工を疎まれていました。
確かに、そういった経験は辛かったしそれが整形する大きなキッカケになったのは間違いないのですが、どうもそれ以前から私には過剰な自意識が存在した気がするのです。
記憶を遡ると、私のそれはどうも幼児期からあったように思えます。
3~4才頃からフリルのついたピンクのドレスやらが好きで、自分を「特別なお姫様」だと勘違いしていたのではないかと思うのです。
その証拠に未だに私は妙にプライドが高い一面があり、思いを通わせようとしてくれている他人に対して「あんたと私は違うんだ。気安く気持ちが分かるなんて言うな。」と怒りに似た感情を抱いてしまうことがあります。
仲良くしてくれようとしている人に対して、どうしてこんなことを思ってしまうのか自分でも不思議なのですが、やはり「自分は特別だ」という思いを抱き続けていることが原因なのだと思います。
それと、お金への異常な執着心が捨てきれません。
私は今お金に苦労しているわけではないのですが、いつでもどこでもお金のことで頭がいっぱいなのです。
これは、元々貧乏だったのがトラウマになっているように思えるのですが、どれだけ稼いでも足りず「もっと欲しい、手に入るだけ全部欲しい!」と金の亡者のようになってしまっています。
そろそろ、全てを捨てて(というか諦めて)真っ当に生きていかなければ収拾がつかなくなるような気がして恐ろしいのですが、お金が無い生活に耐えられないし、そんな自分を見たくもないんです。
勿論、お金が無ければ整形も出来るはずがなく、そのような醜くなっていく自分にも耐えられそうにありません。
最後になりましたが、率直に私は私の過剰な自意識が恐ろしいです。
この自意識を守り通すために、いつかとんでもないことをやらかすのではないかと自分自身が怖いんです。
この「特別な私」をどうにかしてもう少し大人しくさせることは出来ないのでしょうか?
色々遡って考えても正体が分かりません。
うさぎさんの意見を是非お聞かせ願いたいです。
あゆ子さんは私にとてもよく似ています。
幼い頃に自分をお姫様だと思っていたそうですが、私も薔薇模様のベッドカバーを身体に巻き付けて鏡の中の自分にうっとり見惚れ、「お姫様」気分になってたりしましたよ。
もちろんフリルやレースのワンピースも大好きでした。
しかしまぁ、それは私たちに限らず、幼い頃の女子の多くはそういった「憧れの自分」像を思い描き、真似をしたりするものじゃないでしょうか。
でなきゃ、「プリキュア」の衣装やアイテムが商品化されるはずがありません。
男の子たちがアニメや特撮のヒーローの真似をするように、私たちは「かわいくて綺麗で特別な女の子」のモデルをアニメや漫画などの中から見つけ、それを模倣することで「理想の私」を形作っていくのです。
それはべつに病的なことではないと思います。
そう、私たちは物心ついた時から「特別な私」になりたがる。
それは生まれた時からすでに、私は「私の人生という物語」の主人公だからです。
私たちは自分の目を通して世界を認識し、そこに「他者の存在」を知ることで「私の存在」を発見する。
それは一人称で展開する物語の主人公の視点です。
「私が物語の主人公である」・・・この自己認識が私たちの自我や自意識を育てます。
では、主人公とはどうあるべきか?
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「平等」であればあるほど人は些細な差異に拘泥して他者を妬んだり憎んだりすることになる。
最近、あんなにハマっていた「ドラクエ」を全然やってない。まぁ、飽きてきたというのもあるが、何よりネットゲームをやっていると自分が嫌いになるからだ。
私はもともと負けず嫌いで嫉妬深く、自分より弱い者には優しくしたりもするけど(しかし、そこには絶対に「見下し感」がある)、自分と同等かちょっと上くらいの相手には激しいライバル心を燃やす。
そのライバル心がポジティヴに働けば「もっと頑張らなきゃ!」という向上心に繋がるのだが、退院していろいろあって精神状態がやたらネガティヴ方向に向かうようになってからは、他人のちょっとした言動に僻んだり妬んだりして、我ながら本当に嫌なヤツになってしまった。
ネットゲームの世界には、こういう人が多い。
いや、ネトゲに限らずリアルにもいるのだが、とにかく私が不思議に思うのは、彼らがそんな自分に嫌気がささないのか、という点である。彼らは自分の真っ黒な嫉妬心にも無自覚な様子で、他人のことをこきおろしたりバカにしたりして己の優越感を保っている。そして私は、自分がそういう人間になってしまうのが怖くて、ネトゲから距離を置いている状態だ。
「ドラクエ」がネトゲでなかった時代には、ゲームでこんな精神状態になることはなかった。
やはり「他者の存在」が私を脅かすのだと、つくづく感じている。他者のいるゲームは、もちろんひとりでやるゲームより楽しい面もたくさんあるのだが、いったん「他者との比較」モードに入ってしまうと、はてしなく心がねじ曲がっていく。
もちろん、これは多分に私の性分のせいで、ネトゲをやっていても他人と自分を比べて優越感や劣等感を抱かず、平和に楽しんでいる人たちもいるのだ。彼らが何故そんなに心穏やかでいられるのか、私にはわからない。本当に、心の底から羨ましい。彼らにそれを尋ねると「だって、たかがゲームじゃん」と笑って答えるのであるが、私はただのゲームでも熱くなってしまう。人より少しでも劣っていることが、すぐに劣等感や自己嫌悪に結びついてしまうのである。
誰か、この救いがたい「負けず嫌い女」を何とかしてくれ。
ところが、そんな私なのに、これまたどういうわけか、トランプや麻雀などのゲームで負けることがまったく悔しくない。