前回予告したように、今回も「美容整形」がテーマです。
ただし私は医者ではないので、専門的なアドバイスなどはできません。
プロのアドバイスが欲しい方は、「タカナシクリニックのオフィシャルサイト」をご覧ください。
そこでは各診療や施術の価格だけでなく、私とタカナシ院長の「中村うさぎVSマッド高梨のガチBLOG!」にて、院長の専門的な説明や意見を読むことができます。
では、今回は「あゆ子」さんのご相談です。
【お名前】
あゆ子さん
【都道府県】
東京都
【性別】
女性
【年齢】
28歳
【ジャンル】
その他
【相談内容】
初めまして。
いつも楽しく購読させて頂いております。
突然ですが、私は整形を止めることができません。
元が悪いせいもあり、今まで整形に一千万くらい注ぎ込みましたが、なかなか満足できるような容姿にはなれません。
整形のお金は10年ほど風俗を続けていたり、複数の愛人をつくることで捻出しています。
以前、質問コーナーにてうさぎさんが仰った「では、その「もうひとりの私」とは何者なのか。
おそらくそれは私たちが「自分はこうありたい」と脳内で作り上げた妄想の自分なのであろうが、そもそも私はなぜそんな自分を作り上げてしまったのか。」という文章が忘れられません。
私自身、己のナルシシズムや自意識過剰に心当たりがありずっとそれに苦しんできました。
うさぎさんが仰る通り、私の中には頑なに「理想の私像」があり、尚且つその理想に近づくために私の尻を叩き続ける「もう一人の私」がいます。
うさぎさんは「この私がどうして現れたのか、考えて正体を知るべきだ」と仰っていましたが、どれだけ遡って考えてみてもその根源が分かりません。
過去、私は不細工だったので心無い人から酷い言葉を浴びせられたり、男性から酷い扱いを受けた経験があります。そして、両親にも少々不細工を疎まれていました。
確かに、そういった経験は辛かったしそれが整形する大きなキッカケになったのは間違いないのですが、どうもそれ以前から私には過剰な自意識が存在した気がするのです。
記憶を遡ると、私のそれはどうも幼児期からあったように思えます。
3~4才頃からフリルのついたピンクのドレスやらが好きで、自分を「特別なお姫様」だと勘違いしていたのではないかと思うのです。
その証拠に未だに私は妙にプライドが高い一面があり、思いを通わせようとしてくれている他人に対して「あんたと私は違うんだ。気安く気持ちが分かるなんて言うな。」と怒りに似た感情を抱いてしまうことがあります。
仲良くしてくれようとしている人に対して、どうしてこんなことを思ってしまうのか自分でも不思議なのですが、やはり「自分は特別だ」という思いを抱き続けていることが原因なのだと思います。
それと、お金への異常な執着心が捨てきれません。
私は今お金に苦労しているわけではないのですが、いつでもどこでもお金のことで頭がいっぱいなのです。
これは、元々貧乏だったのがトラウマになっているように思えるのですが、どれだけ稼いでも足りず「もっと欲しい、手に入るだけ全部欲しい!」と金の亡者のようになってしまっています。
そろそろ、全てを捨てて(というか諦めて)真っ当に生きていかなければ収拾がつかなくなるような気がして恐ろしいのですが、お金が無い生活に耐えられないし、そんな自分を見たくもないんです。
勿論、お金が無ければ整形も出来るはずがなく、そのような醜くなっていく自分にも耐えられそうにありません。
最後になりましたが、率直に私は私の過剰な自意識が恐ろしいです。
この自意識を守り通すために、いつかとんでもないことをやらかすのではないかと自分自身が怖いんです。
この「特別な私」をどうにかしてもう少し大人しくさせることは出来ないのでしょうか?
色々遡って考えても正体が分かりません。
うさぎさんの意見を是非お聞かせ願いたいです。
【中村うさぎの回答】
あゆ子さんは私にとてもよく似ています。
幼い頃に自分をお姫様だと思っていたそうですが、私も薔薇模様のベッドカバーを身体に巻き付けて鏡の中の自分にうっとり見惚れ、「お姫様」気分になってたりしましたよ。
もちろんフリルやレースのワンピースも大好きでした。
しかしまぁ、それは私たちに限らず、幼い頃の女子の多くはそういった「憧れの自分」像を思い描き、真似をしたりするものじゃないでしょうか。
でなきゃ、「プリキュア」の衣装やアイテムが商品化されるはずがありません。
男の子たちがアニメや特撮のヒーローの真似をするように、私たちは「かわいくて綺麗で特別な女の子」のモデルをアニメや漫画などの中から見つけ、それを模倣することで「理想の私」を形作っていくのです。
それはべつに病的なことではないと思います。
そう、私たちは物心ついた時から「特別な私」になりたがる。
それは生まれた時からすでに、私は「私の人生という物語」の主人公だからです。
私たちは自分の目を通して世界を認識し、そこに「他者の存在」を知ることで「私の存在」を発見する。
それは一人称で展開する物語の主人公の視点です。
「私が物語の主人公である」・・・この自己認識が私たちの自我や自意識を育てます。
では、主人公とはどうあるべきか?