一昨日の「5時に夢中!」はハロウィンということで、久々にコスプレしました!
美保さんがマッチ売りの少女、あたしがアリス。
打ち合わせたわけでもないのに、何故だか二人ともメルヘン系w
にしても、アレクのドラキュラ、似合いすぎ!
やっぱ、コスプレ楽しいー!
新宿二丁目の「arch」というクラブでは、以前、定期的にアニメナイトをやってて、あたしもアニコスで繰り出したもんです。
一昨日の「5時に夢中!」はハロウィンということで、久々にコスプレしました!
美保さんがマッチ売りの少女、あたしがアリス。
打ち合わせたわけでもないのに、何故だか二人ともメルヘン系w
にしても、アレクのドラキュラ、似合いすぎ!
やっぱ、コスプレ楽しいー!
新宿二丁目の「arch」というクラブでは、以前、定期的にアニメナイトをやってて、あたしもアニコスで繰り出したもんです。
いよいよ、今月のマンスリーゲスト伏見憲明さんは最終回となります。
変な編集者=変集者のお話。PART4
「中村直腸の説話」
第五回目ゲスト
小説家 伏見憲明さん
伏見憲明の公式サイト
動画はコチラ
http://bit.ly/2EZeTfl
さて、恒例の「人生相談」のコーナー、今回は非常に哲学的なご相談です。
相談者は「亮介」さんです。
私はビックリするほど哲学に造詣が浅いので、亮介さんのご質問には何ひとつ答えられません。
私ではなく、哲学者の先生にお訊きになったほうがいいのでは、とも思いました。
ですが、ここに寄せられたご相談には、できるだけ全力で答えることにしているので、哲学を知らない私が一般人として(いや、たぶん一般人以下だけど)この問題をどう考えるか、拙いなりに述べてみようかと思います。
ただ、何しろカントもデカルトも読んだことない私です。
てか、その両者の区別もつきません。
そんな私の言うことなので、例によってものすごく役に立たないゴミみたいな回答になると思われますが、ここはそもそも「役に立たない人生相談」のコーナーですので、初めから期待しないでくださいね。
では、さっそくご紹介しましょう。
【お名前】
亮介さん
【都道府県】
大阪府
【性別】
男性
【年齢】
22歳
【ジャンル】
その他
【相談内容】
「初めまして、僕は大阪に
住んでいる大学生の亮介と
申します。因みにゲイだと
思います。同じゲイの友達は
まだいません。
(中略)
今回の相談内容をあらかじめ
まとめると以下のように
なります。
・自分が今生きている、存在
しているという
事実が怖い。
・自分の存在とこの世界の存在
に不信感がある。
・うさぎさんは僕のような
恐怖や不信感を感じることは
ありますか?
お前は何を言うてんねん
という感じだと思いますので
解説をします。
どうかお付き合い下さい。
時々、無性に自分が
生きてしまっていること、
この世に存在してしまっている
ことが怖いのです。
この先の人生、老後が
不安とか、死ぬのが
怖いとかそういう不安ではなく、
とにかく自分という存在が
存在してしまっていることが
怖いんです。
小学生の頃からそうでした。
家族に守られ、人に恵まれ、
幸せな毎日を送っているのに、
「あれ、僕はこんな所で
何をしているんだろう?」
「僕はどうして生きて
しまっているんだろう?」
「この世界はどうして存在
しているんだろう?」
「というより、本当に僕や
この世界は存在しているん
だろうか?」
という考えが頭を過った瞬間、
軽くパニックになります。
今まで「当たり前」だと思って
いたものが本当に「当たり前」
なのか分からなくなる。
人生のゲシュタルト崩壊です。
今まで何事もなく滑っていた
日常が突然動きを止めて、
無機質な冷たいものに
変わる感覚。
世界で自分がたった一人に
なったような、足元が
崩れて、頼りになるものが
どこにもないような浮遊感。
僕の拙い言葉では、言い表せない
のですが、とにかく怖いのです。
他の人も、僕ほどでは
ないにしても、このような
感覚を誰しも抱くことが
あるそうだとは知っています。
「何で生きているのか?
私って何なのか?
この世界って何なのか?」に
答えなんてない。考え込んでは
いけない。それも
分かっています。
「存在しているから
存在しているのだ。」
という言葉も知っています。
だけど欲しいのは、そんな
言葉じゃない。
うさぎさんは
「自分の人生に与えられた
意味なんて無いかも知れないから、
自分なりの意味や価値を
見つけて、悪足掻きでも
自分なりに生きなさい。」という
お考えであったと把握しています。
本当にその通りだと思います。
素晴らしいメッセージを
頂き、ありがとうございます。
だけど、そういった言葉たちでは
僕の恐怖感は消えてくれません。
(偉そうにすみません。)
理屈じゃなく、怖いんです。
人生に、生きることに
意味なんてないなら、
別に生まれて来なくたって、
良かったじゃないか。
何で存在しているのか
分からないこの世界なんて
別に最初から無くても、
いいじゃないか。
(だからって別に
今すぐ死んでしまいたいとか、
みんな消えてしまえばいい
なんて思いませんが。)
そもそも、この世界が、僕が
本当に存在しているかも
怪しい。「マトリックス」の
ように全ては僕の脳内の幻想かも
知れない。明日、もし神様が
「こんな世界飽きた」と手を
叩けば全ては水泡のように
弾け飛ぶかも知れない。
「胡蝶の夢」という話だって
古くからある。
僕の存在の意味と理由を
誰が保証してくれるのか。
この世界の存在の確かさを
誰が保証してくれるのか。
おそらくは誰もしてくれない
ので自分と世界に対して
何時までも不信感が
消えないのです。
誰が、僕という存在が存在
してしまっていることに
責任を取ってくれるの
でしょうか?
(そんなもの自分で
取るもので、誰も取って
くれませんよね。
甘えるな、自分。
でも「存在したい」と
思った訳でも
ないのに、存在しているなんて
おかしな話だと思いませんか。)
杞憂であることは
分かっています。
そんなこと考えずに毎日
誰かと楽しく生きられるよう
努力したらいい。
それも知っています。
そんなに不安なら自分の世界の
外に神様を作って、
おすがりすればいい。
「お前とこの世界は私が
作ったから、存在
しているんだよ。」と
言ってもらえばいいのかも
知れません。
(神様なんていないかも
知れませんが。)
だけど、やっぱり怖いんです。
こんな変なのは僕だけでしょうか。
みんな当たり前の顔して、
何で生きていけるの?
何でそこに存在しているの?
僕は何でこんなに生きていることが
不安なのかな?
何でこんなに自分が
存在してしまっていることが
怖いのかな?
でも怖い、本当に怖い。
虚無感を時々、感じるんです。
こんなに恵まれた環境にいて、
みんなに優しく
してもらっているのにどうして。
精神科に行った方がいいので
しょうか。このままでは、いつか
気がふれてしまいそうです。
自己完結してばかりの、
また恐らく気味の悪い文章で
申し訳ありません。
しかし、「私」というもの
にずっと拘り、
またこの「世界」というものの
二者について考えてこられた
うさぎさんにこそお尋ねしたい
のです。
笑い飛ばされても、
ドン引きされても、
「お前ちょっと頭おかしいよ。」
でもいいんです。
うさぎさんは、
自分という存在が、
今ここに、存在して
しまっているという事実に、
「私」がこの世に生まれて
きてしまったという事実に、
不安や恐怖を感じることは
ありませんか?
また、もしある場合、
どの様にして不安と恐怖を
消し去っていますか?
もし、ない場合は…
こんな異常な僕は
どうすればよさそうか、
アドバイスを頂けませんか?」
えーとですね、私は自分がじつは虚構の存在であり、この世界(だと私が思っているもの)も私(だと自分で信じているもの)も本当は存在なんかしてないんではないか、すべては私の脳内妄想ではないか、などと考えることは多々あります。
自分は誰かの見ている夢の中の存在で(まさに「胡蝶の夢」ですね)、その誰がが目を覚ました途端に消えてなくなるのかもしれない、なーんてこともよく感じます。
だから亮介さんがここに述べているようなことを、「何をバカなこと言っとんじゃい」などとは思いません。
むしろ「あるあるー」ですよ。
ただ、私と亮介さんの決定的な違いは、私がそこに恐怖を感じない、ということだと思います。
たとえ私が架空の存在であり、何かの拍子で突然消え失せてしまったとしても、それならそれでいいじゃんと思ってしまうからです。
私が架空の存在だとしたら、私には存在する意味がないのか?
そんなこと、ないよね。
たとえ架空の存在だとしても、私には現在、確かに「私」と感じられる存在がある。
その「私」という感覚が、私ひとりの勘違いの産物だとしても、こうやって私が「私」だと思っている以上、それは少なくとも私にとっては「存在」と呼べるものではないか。
うまいものを食えば「美味しい!」と感じる「私」がいる、面白い映画を観れば「これはすごい!」と感動する「私」がいる。
本当はそんなもの存在しないのかもしれないけど、私が「美味しい」とか「すごい」と感じている以上、それらは私にとっては「存在するもの」なのです。
私が「私」を中心に、この世界を構築している。
そして、この私が死んだ瞬間、「私」も「世界」も消え失せる。
元々なかったものだから、そりゃもう綺麗さっぱり消えてなくなります。
それは、こないだ実際に死んでみて、よーくわかりました。
死んだ瞬間、私は「無」になった。
だけど、それは怖くも悲しくもなかったよ。
私の紡いできた「私」という物語はそこで終わり、誰にも読み継がれることはないけれど、私がその「物語」をリアルに生きてたんだから、それはそれで充分じゃん、という気がする。
自分の感覚以上に、世界に何を求めるの?
この世界が夢や幻ではなく、自分が死んでも世界は存続していて欲しいと思うの?
でもさ、たとえ望みどおりに世界が存続したとしても、その「世界」を感じ取る自分はもういないんだよ?
そんなら、あってもなくても一緒じゃん!
亮介さんは・・・
ある朝目覚めたら、頭の中でずっとCCBの「ロマンチックがとまらない」がかかっていて、以来数日間、エンドレスでこの歌が鳴り響いている中村です。
「だっれっか、ロマンティック♪ とっめって、ロマンティック♪」
ホントに誰か止めてぇ~~~っ!!!
というわけで、「人生相談」ですね。
今回は「りあ」さんからのご相談です。
【お名前】
りあさん
【都道府県】
京都府
【性別】
女性
【年齢】
21歳
【ジャンル】
美容
【相談内容】
突然しょうもない相談をさせて頂くことをお許し下さい。
私はバイトでちょっとしたモデル活動をしたり、よく外見を褒められたりするので
容姿は悪くないほうだと思うのですが、なんだか私の前でわざわざ他の美人の話をする男女が多いので「嫌がらせのつもりかよ」と暗い気分になってしまいます。正直言って、私ほど可愛くない人のことを褒められると「人の顔の好みって色々なんだしお前調子のんじゃねーよ。大体お前それほどでもねーよ」とひそかに言われているような気がします。
それから「俺の好みは…」と顔の話ばかりする男性が多いです。私にどうしてほしいのでしょうか?何が言いたいのか、今ひとつぴんときません。私が嫌味に気づいていないだけなのかもしれませんが。
最近一番鬱陶しく感じたのは
ある男性から「あなたって可愛いね」と言われたので適当に笑って「そんなことないですよ」と返したら「そんなことありませんね、ぷっ」と大笑いされたことです。
私はたしかに外見も大事だとは思っていますが、それだけではやっていけないこともよくわかっています。私自身も
誰にも比べようのない魅力を身につけたいと毎日試行錯誤しながら、一生懸命努力しているのです。人にどう思われるかよりも、いつも自分が好きな顔でいたいのです。でも他の人の好みに合わせないと
外見で人を喜ばせるようなレベルには到達出来ないのでしょうか。心にもないお世辞や、からかいの言葉にいちいち悩まされる自分が恥ずかしいです。
うーん、美人には美人の悩みがあるんだなぁ。
当たり前だけどね。
りあさんの悩みは、自分がブスだのデブだので悩んでる女性たちからすれば、「何よ、贅沢な! 美人ならそれで充分でしょ!」てなもんでしょう。
ですが、我々には例の厄介な「自意識」があります。
ブスで悩むことと、美人で悩むことは、ともに「自意識に縛られている」という点では同じ穴の貉かもしれません。
要するに我々は「他者の目に映った自分」を意識しないではいられないのです。
この世に他者がいなければ、ブスだってデブだって、人目を気にせず堂々と自分らしく生きられるでしょう。
しかしこの世には他者が複数存在し、彼らの評価や審査に常に晒されている我々は、その冷徹な視線に脅えながら生きていかねばなりません。
そしてまた、そんな我々自身も、他者を常に採点している。
やれ「あの人はブス」だとか「あの人は美人」だとか、「あの人はバカ」だとか「あの人は賢い」だとか、容姿だけでなくその内面まであれこれ評価しているもんなんですね。
つまり、我々は互いの視線に縛られて窮屈に生きている。
りあさんが美人ゆえに抱える自意識の悩みを、誰が批判できるでしょうか。
で、りあさん。
あなたは自分が美人だと知っていて・・・
最近、ちょっと痩せた気のする中村です!
これも自己流ダイエットのおかげかしらん?ま、マイクロダイエットよりは確実に効果出てるわねw
でも、ここからが正念場よ!
ちょっと体重減ったからって調子乗って、ついつい自分に甘くなっちゃって、甘い物食べてリバウンドしちゃう話はよく聞くもんね。昨日もあたし、白金台の「ブルーポイント」に久々に行って、ついついパンケーキを注文しちゃった!
だって、すんごく美味しそうなんだもん!
もっちりしたパンケーキの上に塩キャラメルにからめたナッツがたっぷり!ひとくち食べて「美味しーーい!!!」って感動したものの、次の瞬間、「これ全部食べたら、今までの努力が水の泡だーーっ」と思い直し、1/4だけ食べて、残りは泣く泣く夫に譲ったわ・・・。
ああ、残念!