さて、恒例の「人生相談」のコーナー、今回は非常に哲学的なご相談です。
相談者は「亮介」さんです。
私はビックリするほど哲学に造詣が浅いので、亮介さんのご質問には何ひとつ答えられません。
私ではなく、哲学者の先生にお訊きになったほうがいいのでは、とも思いました。
ですが、ここに寄せられたご相談には、できるだけ全力で答えることにしているので、哲学を知らない私が一般人として(いや、たぶん一般人以下だけど)この問題をどう考えるか、拙いなりに述べてみようかと思います。
ただ、何しろカントもデカルトも読んだことない私です。
てか、その両者の区別もつきません。
そんな私の言うことなので、例によってものすごく役に立たないゴミみたいな回答になると思われますが、ここはそもそも「役に立たない人生相談」のコーナーですので、初めから期待しないでくださいね。
では、さっそくご紹介しましょう。
【お名前】
亮介さん
【都道府県】
大阪府
【性別】
男性
【年齢】
22歳
【ジャンル】
その他
【相談内容】
「初めまして、僕は大阪に
住んでいる大学生の亮介と
申します。因みにゲイだと
思います。同じゲイの友達は
まだいません。
(中略)
今回の相談内容をあらかじめ
まとめると以下のように
なります。
・自分が今生きている、存在
しているという
事実が怖い。
・自分の存在とこの世界の存在
に不信感がある。
・うさぎさんは僕のような
恐怖や不信感を感じることは
ありますか?
お前は何を言うてんねん
という感じだと思いますので
解説をします。
どうかお付き合い下さい。
時々、無性に自分が
生きてしまっていること、
この世に存在してしまっている
ことが怖いのです。
この先の人生、老後が
不安とか、死ぬのが
怖いとかそういう不安ではなく、
とにかく自分という存在が
存在してしまっていることが
怖いんです。
小学生の頃からそうでした。
家族に守られ、人に恵まれ、
幸せな毎日を送っているのに、
「あれ、僕はこんな所で
何をしているんだろう?」
「僕はどうして生きて
しまっているんだろう?」
「この世界はどうして存在
しているんだろう?」
「というより、本当に僕や
この世界は存在しているん
だろうか?」
という考えが頭を過った瞬間、
軽くパニックになります。
今まで「当たり前」だと思って
いたものが本当に「当たり前」
なのか分からなくなる。
人生のゲシュタルト崩壊です。
今まで何事もなく滑っていた
日常が突然動きを止めて、
無機質な冷たいものに
変わる感覚。
世界で自分がたった一人に
なったような、足元が
崩れて、頼りになるものが
どこにもないような浮遊感。
僕の拙い言葉では、言い表せない
のですが、とにかく怖いのです。
他の人も、僕ほどでは
ないにしても、このような
感覚を誰しも抱くことが
あるそうだとは知っています。
「何で生きているのか?
私って何なのか?
この世界って何なのか?」に
答えなんてない。考え込んでは
いけない。それも
分かっています。
「存在しているから
存在しているのだ。」
という言葉も知っています。
だけど欲しいのは、そんな
言葉じゃない。
うさぎさんは
「自分の人生に与えられた
意味なんて無いかも知れないから、
自分なりの意味や価値を
見つけて、悪足掻きでも
自分なりに生きなさい。」という
お考えであったと把握しています。
本当にその通りだと思います。
素晴らしいメッセージを
頂き、ありがとうございます。
だけど、そういった言葉たちでは
僕の恐怖感は消えてくれません。
(偉そうにすみません。)
理屈じゃなく、怖いんです。
人生に、生きることに
意味なんてないなら、
別に生まれて来なくたって、
良かったじゃないか。
何で存在しているのか
分からないこの世界なんて
別に最初から無くても、
いいじゃないか。
(だからって別に
今すぐ死んでしまいたいとか、
みんな消えてしまえばいい
なんて思いませんが。)
そもそも、この世界が、僕が
本当に存在しているかも
怪しい。「マトリックス」の
ように全ては僕の脳内の幻想かも
知れない。明日、もし神様が
「こんな世界飽きた」と手を
叩けば全ては水泡のように
弾け飛ぶかも知れない。
「胡蝶の夢」という話だって
古くからある。
僕の存在の意味と理由を
誰が保証してくれるのか。
この世界の存在の確かさを
誰が保証してくれるのか。
おそらくは誰もしてくれない
ので自分と世界に対して
何時までも不信感が
消えないのです。
誰が、僕という存在が存在
してしまっていることに
責任を取ってくれるの
でしょうか?
(そんなもの自分で
取るもので、誰も取って
くれませんよね。
甘えるな、自分。
でも「存在したい」と
思った訳でも
ないのに、存在しているなんて
おかしな話だと思いませんか。)
杞憂であることは
分かっています。
そんなこと考えずに毎日
誰かと楽しく生きられるよう
努力したらいい。
それも知っています。
そんなに不安なら自分の世界の
外に神様を作って、
おすがりすればいい。
「お前とこの世界は私が
作ったから、存在
しているんだよ。」と
言ってもらえばいいのかも
知れません。
(神様なんていないかも
知れませんが。)
だけど、やっぱり怖いんです。
こんな変なのは僕だけでしょうか。
みんな当たり前の顔して、
何で生きていけるの?
何でそこに存在しているの?
僕は何でこんなに生きていることが
不安なのかな?
何でこんなに自分が
存在してしまっていることが
怖いのかな?
でも怖い、本当に怖い。
虚無感を時々、感じるんです。
こんなに恵まれた環境にいて、
みんなに優しく
してもらっているのにどうして。
精神科に行った方がいいので
しょうか。このままでは、いつか
気がふれてしまいそうです。
自己完結してばかりの、
また恐らく気味の悪い文章で
申し訳ありません。
しかし、「私」というもの
にずっと拘り、
またこの「世界」というものの
二者について考えてこられた
うさぎさんにこそお尋ねしたい
のです。
笑い飛ばされても、
ドン引きされても、
「お前ちょっと頭おかしいよ。」
でもいいんです。
うさぎさんは、
自分という存在が、
今ここに、存在して
しまっているという事実に、
「私」がこの世に生まれて
きてしまったという事実に、
不安や恐怖を感じることは
ありませんか?
また、もしある場合、
どの様にして不安と恐怖を
消し去っていますか?
もし、ない場合は…
こんな異常な僕は
どうすればよさそうか、
アドバイスを頂けませんか?」
【中村うさぎの回答】
えーとですね、私は自分がじつは虚構の存在であり、この世界(だと私が思っているもの)も私(だと自分で信じているもの)も本当は存在なんかしてないんではないか、すべては私の脳内妄想ではないか、などと考えることは多々あります。
自分は誰かの見ている夢の中の存在で(まさに「胡蝶の夢」ですね)、その誰がが目を覚ました途端に消えてなくなるのかもしれない、なーんてこともよく感じます。
だから亮介さんがここに述べているようなことを、「何をバカなこと言っとんじゃい」などとは思いません。
むしろ「あるあるー」ですよ。
ただ、私と亮介さんの決定的な違いは、私がそこに恐怖を感じない、ということだと思います。
たとえ私が架空の存在であり、何かの拍子で突然消え失せてしまったとしても、それならそれでいいじゃんと思ってしまうからです。
私が架空の存在だとしたら、私には存在する意味がないのか?
そんなこと、ないよね。
たとえ架空の存在だとしても、私には現在、確かに「私」と感じられる存在がある。
その「私」という感覚が、私ひとりの勘違いの産物だとしても、こうやって私が「私」だと思っている以上、それは少なくとも私にとっては「存在」と呼べるものではないか。
うまいものを食えば「美味しい!」と感じる「私」がいる、面白い映画を観れば「これはすごい!」と感動する「私」がいる。
本当はそんなもの存在しないのかもしれないけど、私が「美味しい」とか「すごい」と感じている以上、それらは私にとっては「存在するもの」なのです。
私が「私」を中心に、この世界を構築している。
そして、この私が死んだ瞬間、「私」も「世界」も消え失せる。
元々なかったものだから、そりゃもう綺麗さっぱり消えてなくなります。
それは、こないだ実際に死んでみて、よーくわかりました。
死んだ瞬間、私は「無」になった。
だけど、それは怖くも悲しくもなかったよ。
私の紡いできた「私」という物語はそこで終わり、誰にも読み継がれることはないけれど、私がその「物語」をリアルに生きてたんだから、それはそれで充分じゃん、という気がする。
自分の感覚以上に、世界に何を求めるの?
この世界が夢や幻ではなく、自分が死んでも世界は存続していて欲しいと思うの?
でもさ、たとえ望みどおりに世界が存続したとしても、その「世界」を感じ取る自分はもういないんだよ?
そんなら、あってもなくても一緒じゃん!
亮介さんは・・・