人生相談のお時間です。
今回のご相談者は「西村卓也」さんです。
【お名前】
西村卓也さん
【都道府県】
埼玉県
【性別】
男性
【年齢】
34歳
【ジャンル】
仕事
【相談内容】
毎回、うさぎさんの真剣な言葉に深く共感しています。うさぎさんのような洞察力とでも言いましょうか、観察眼を私も身につけられるよう精進してます。
さて、相談です。私は、塾の講師をしています。小学生・中学生を扱う進学塾です。小学生は、中学受験をしない児童が通っています。中学生は高校受験に向けて通塾しています。
塾というところは、ご存知かもしれませんが「合格するため」「学校でよい成績を取るため」「定期テストの点数を上げるため」という目的に特化したところです。授業のカリキュラムや指導の仕方も、それを前提として組まれます。
私が塾業界で働き始めたころ、通塾する子どもたちは、そういったことを前提に通っていると思っていました。また、そう上司に教えられてきました。しかし、実際は違うのです。もちろんそういった子もいます。「偏差値のいい学校へ」を合言葉に必死になってがんばっている子もいます。
でも、ほとんどの子は親に行かされています。子ども自身は「行かされている」思っていなくても、「行くのが当たり前だ」と刷り込まれているのです。
彼らは塾で勉強することを心の底から望んでいません。「テストがあるから」「受験があるから」「学校で悪い点数を取ったら」という条件付きで嫌々来ている子がほとんどです。
私は、そんな様子を見て「自分のやっていることは本当にこれでいいのだろうか」と長年思ってきました。子どもを点数で見てしまう、進学する高校で見てしまう自分に嫌気がさしてきました。
仕事なので精いっぱいしなければいけないという使命感はあります。「子どもが、親が望むのであれば、自分の気持ちを殺してでもしなければいけない」と言い聞かせています。
会社は、「生徒数は!」「売り上げは!」と数字の話が中心です。「生徒のために…」と表では言っていますが…。
子どもって正直で、すぐに言動や顔にあらわれます。「嫌だ!」というサインです。私は長年(約10年)してきたせいか、それに気づいてきました。以前は、黙殺してましたが。
「もっと遊びたいだろうにな」と彼らの心情をふと考えたりします。
だから私は自分の授業を変えようと思いました。「生徒が笑っている授業」「楽しいと思える授業」へと。カリキュラムや授業の体裁は完全に無視してます。
すみません、文章でうまく伝えられず長くなりました。私はこういったジレンマに悩んでいます。もちろん「仕事変えたら?」と思うかもしれませんが、現状、放り出すわけにはいきません。(私が辞めても何も問題はないのですが…)
また、教育って何でしょうね?学校も塾も結局は数字なんですよね。でも、そんなんで幸せになれない。何を教えたらいいのか。「1467年に何が起こった」なんて、どうでもいいよ。彼らに何を伝えたらいいのでしょうか。あるいは、ひょっとしてこんなことを考えていること自体、私の考えは傲慢なのか。彼らを見下しているのか。…悩みます。以前、うさぎさんのお悩み相談の回答に少し書いてありましたね。もう少し深く、うさぎさんの教育観を教えていただけないでしょうか。
【中村うさぎの回答】
まず、「教育とは何か」という問いに関しては、「教育とは洗脳です」というのが私の意見です。
家庭での教育も学校での教育も、すべては「洗脳」です。
が、「洗脳」が悪いことだとは思いません。
倫理や社会常識なんてものは、教育という洗脳なくては植え付けられません。
そんなもの、子どもの頭の中に自然発生するわけないですからね。
誰かが植え付けなくてはならないものです。
で、親や教育者はそのような「洗脳」を義務づけられているわけですが、ここで問題になるのは「正しい価値観なんか植え付けられるのか?」ということです。
もちろん、あまりにも偏った思想や価値観を植え付けるのはどうかと思いますが、「公正なる価値観」なんてものも存在しないので、子どもに何かを教える以上、自分の偏見や無知ゆえの間違った世界観を授けてしまうことに関しては諦めなくてはなりません。
私たちには限界があるのです。