世界中の他人に受け入れられたにも関わらず、受け入れられなかったのは、唯一僕自身だった。
「中村直腸の説話」
第十一回目ゲスト
杉山文野さん
杉山文野WEB
動画はコチラ
http://bit.ly/2GNBmws
世界中の他人に受け入れられたにも関わらず、受け入れられなかったのは、唯一僕自身だった。
「中村直腸の説話」
第十一回目ゲスト
杉山文野さん
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昨日、作家の白川道氏が亡くなった。
突然の訃報に衝撃を受けたわ。
一緒に競輪行ったこととか思い出して、なんだか今でも実感わかない。
まだいる気がするのよ。
いなくなるわけないって、
そんなに突然いなくなっちゃうはずがないって
どうしても信じられない。
おかしいよね。
あたしがいくら信じなくても、事実は事実なのに、信じなければなかったことになるような気がしてる。
人間って、いや、あたしって本当にご都合主義ね。
死とか病気とかの前で、あたしたちは己の無力さを思い知る。
あたしたちは徹底的に無力だ。
だけど、その無力さを自覚してるからこそ、あたしたちは生きる意味を考える動物となる。
人生相談のお時間です。
相談者は「Akari」さん、22歳の女性です。
【お名前】
Akariさん
【都道府県】
大阪府
【性別】
女性
【年齢】
22歳
【ジャンル】
人間関係
【相談内容】
はじめまして。
私は、自分は何がしたいのか。自分は一体何者なのか、という答えがいつになっても見つかりません。
現在大学4年生で、春には社会人になりますが、就職活動も自分が何をしたいのか全く分からず、何となく決まってしまった会社に行くことになっています。
周りの友人の中には、自分の求める人生の姿、そのヒントを掴んだ人たちがたくさんいます。
彼らを見ると、うらやましく、同時にそれを見つけられない自分に焦りを感じます。
その焦りを解消するために、いろんな職業の人に話を聞いたり、場所に赴いたりしてはいるのですが、
やはり漠然としていて、自分が歩みたいキャリアが決まらないのです。
一体、どうやったら自分の求める道は見つけられるのでしょうか。
自分が一体何者なのか、いつになったら分かるのでしょうか。
さて、いつもながら、答を先に言ってしまいます。
いや、答といっても、あくまで私の個人的意見で、正解でも何でもないんですけどね。
「自分が一体何者なのか、いつになったら分かるのでしょうか」という問いに対しての私の答は「一生わかりません」です。
ていうか、この問いは「私は何者かである」という前提に基づいた問いですが、私が思うに、我々はデフォルトでは「何者でもない」のです。
何者でもない「私」が、何者かになっていくのが「生きる」ということだと私は思います。
Akariさんの「私は何者なのか」という問いは、「私が生まれてきたことには、どんな意味があるのか」という問いに似ています。
「私」は生まれた時から「何者か」であって、生きるということはそのあらかじめ定められた自分を見つけて自己実現していくことだ、という考え方。
「私が生まれてきたことに意味があるのか」という問いもまた、「私は誰かに定められた使命を果たすために生まれてきたのか」という発想ですから、つまり両者ともに「私は誰かに定められた自分であり、誰かの意思のもとに生まれた」という前提のもとに立てられた問いなのです。
倉田真由美さんオフィシャルブログに、倉田真由美さん、苫米地英人氏と中村うさぎが食事をされた事が更新されております。
倉田真由美さんオフィシャルブログ
「食べたり食べたり」
中村うさぎオフィシャルメールマガジン「中村うさぎの死ぬまでに伝えたい話」の動画コーナー「中村直腸の説話」でも三名の鼎談などは見てみたいものですね。