ARTICLE 中村うさぎの人生相談

  • 「私は何者なのか」という問いは、「私が生まれてきたことには、どんな意味があるのか」という問いに似ています。

  • 2015年04月16日 (木)

人生相談のお時間です。
相談者は「Akari」さん、22歳の女性です。

 

【お名前】
Akariさん

【都道府県】
大阪府

【性別】
女性

【年齢】
22歳

【ジャンル】
人間関係

【相談内容】
はじめまして。
私は、自分は何がしたいのか。自分は一体何者なのか、という答えがいつになっても見つかりません。

現在大学4年生で、春には社会人になりますが、就職活動も自分が何をしたいのか全く分からず、何となく決まってしまった会社に行くことになっています。
周りの友人の中には、自分の求める人生の姿、そのヒントを掴んだ人たちがたくさんいます。
彼らを見ると、うらやましく、同時にそれを見つけられない自分に焦りを感じます。

その焦りを解消するために、いろんな職業の人に話を聞いたり、場所に赴いたりしてはいるのですが、
やはり漠然としていて、自分が歩みたいキャリアが決まらないのです。

一体、どうやったら自分の求める道は見つけられるのでしょうか。
自分が一体何者なのか、いつになったら分かるのでしょうか。

 

【中村うさぎの回答】

さて、いつもながら、答を先に言ってしまいます。
いや、答といっても、あくまで私の個人的意見で、正解でも何でもないんですけどね。

自分が一体何者なのか、いつになったら分かるのでしょうか」という問いに対しての私の答は「一生わかりません」です。

ていうか、この問いは「私は何者かである」という前提に基づいた問いですが、私が思うに、我々はデフォルトでは「何者でもない」のです。
何者でもない「」が、何者かになっていくのが「生きる」ということだと私は思います。

Akariさんの「私は何者なのか」という問いは、「私が生まれてきたことには、どんな意味があるのか」という問いに似ています。
」は生まれた時から「何者か」であって、生きるということはそのあらかじめ定められた自分を見つけて自己実現していくことだ、という考え方。
私が生まれてきたことに意味があるのか」という問いもまた、「私は誰かに定められた使命を果たすために生まれてきたのか」という発想ですから、つまり両者ともに「私は誰かに定められた自分であり、誰かの意思のもとに生まれた」という前提のもとに立てられた問いなのです。

 

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