先日、友人の伏見憲明さんと新宿のカフェで長いお喋りをしました。
彼は今、新宿二丁目で「A Day in the Life」というゲイバーをやっているのだけど、そこに来るお客さんたちの話を聞きながら、「自己顕示欲」や「承認欲求」について考えさせられました。
私自身の人生も、この「自己顕示欲」と「承認欲求」に突き動かされてきました。
買い物依存症もホスト狂いも美容整形も、すべてはこの「承認欲求」によるものです。
私は誰かに認められたかった。
この広い世界の片隅で、誰にも必要とされず、ひっそりと消えていくのがイヤだったんです。
私を知って欲しい、私を理解して欲しい、できれば私を愛して欲しいと叫びながら、今日まで生きてきました。
その姿はとても見苦しく、そんな私を嫌悪する人たちもたくさんいましたが、中には同じ「自意識の病」を抱えていて共感してくれる人たちもいました。
その人たちは、私の言葉で救われたと言ってくれました。
そして私もまた、その人たちにずいぶんと救われてきたのです。
私はこの世界にようやく心を繋げる相手を見つけることができたのでした。
だから私は、自分の愚かしくみっともない人生を通して考えたことを、これからもこうして自分の言葉に乗せて送り届けたいと思います。
それが迷惑だと感じる方は、耳をふさいでいただいて結構です。
では、今回も「人生相談」を始めましょう。
「泉」さんというゲイの方から寄せられた「承認欲求」の悩みです。
彼は私にとてもよく似ている。
もしかしたら、あなたにも似ているかもしれない。
もし「似ている」と感じたとしたら、あなたも私や彼と同じ「病」を抱える同胞です。
こういう人は、生きるのが辛い。
だけど、なんとか生き抜いて欲しいと思うのです。
【お名前】
泉さん
【都道府県】
東京都
【性別】
男性
【年齢】
19歳
【ジャンル】
その他
【相談内容】
自己顕示欲・野心が強い自分にアドバイスをください。
(東京出身東京育ち、19歳、服飾系専門学生、ゲイ)
私は昔から人一倍、自己顕示欲や自己承認欲、野心が強いです。「自分を認めて欲しい、自分を愛して欲しい、自分を必要としてほしい、自分を羨んでほしい」とずっと思い続けています。それは家族に対しても、友人や好きな人に対しても、はたまた自分と深くかかわりのない人にもそのように思ってほしいと、考えてしまいます。
思春期に自分が同性愛者であると自覚し、東京在住だったこともあり、高校時代から新宿二丁目に行ったり、ゲイアプリで気になる人に会ったりと、ゲイコミュニティに参加するようになったのですが、元々美形ではないので、メンクイな私はそこでもこの欲求は満たされることはありませんでした。「もっとハンサムで素敵な男に愛されたい」「身体ではなく自分という存在に欲情してほしい」という欲求が邪魔をして、恋愛に関しての欲求が満たされることはありません。今では恋愛に関して諦めさえついてしまっています。自分の容姿では自分が求めるような人には愛されないことに気付き、性欲は自分自身で解消し、「愛されたい」という欲求には目を背けています。けれどもいつかは、うさぎさんのように美容整形をし、作りものの顔だとしても容姿重視のゲイコミュニティで上手くやってみたいと思ったり、恥かしながら野心も持っています。
また、通っている学校でも、「もっといい服を創って認められたい」「自分を天性の才能だと羨んでほしい」と思っています。家で誰よりも時間をかけて課題をやりながらも、努力していることも知られたくなく、何もしなくても出来るような顔をしてしまいます。
周りからそれなりに認めてもらうこともありますが、この欲求が満たされることはなく、「もっとほしい、もっとほしい」と求めるものが大きくなるばかりです。
私は恋愛や学業だけでなく、いかなることに関しても抑えることのできないこの欲求に自分自身で向き合う毎日を過ごしながら、
この欲求は具体的に何を求めていて、私にとって何がゴールで、何が欲しいのか、、、自分でさえも理解できません。
うさぎさんの本に出会えてからは、共感させていただくことも多く、とても救われています。しかし、ふとした時に「これから先も満たされることはあるのだろうか」、と途方に暮れてしまう時もあります。「自分の身の程を知り、素直に生きられたら、楽なのだろうか」と思ってしまします。
よければこんな私にアドバイスをください。
【中村うさぎの回答】
泉さん、大変残念なことを最初に言っておきます。
あなたを苦しませている「承認欲求」から、あなたはおそらく一生逃れられません。
それは我々の魂に深く深く根を食いこませていて、ちょっとやそっとでは引っこ抜けない状態になっているからです。
恋愛やセックスで一時的に満たされることはあるでしょうが、そんなものが長続きしないことは、あなたも充分にわかってると思います。
この過剰な「承認欲求」が、いったいいつから我々の魂に根付いたのか、それは誰にもわかりません。
生来のものかもしれないし、生育環境ゆえかもしれない。
精神科医は母子関係にその原因があると言ったりしますが、そればかりではないでしょう。
「母親の愛情不足」と言ってしまえば簡単ですが、何をもって「愛情不足」と断じるのかが、まず疑問です。
母親が精一杯の愛を注いだつもりでも、生まれつき「承認欲求」の激しい子どもにとっては「充分じゃない」と感じられるでしょうし、その子の言い分を真に受けて「愛情不足」と断じてしまう精神科医は、じつは本人が「母性」に過剰な期待と幻想を抱いていたりするので、私はあまり信頼していません。