人生相談のお時間です。
今回のご相談者は「まこと」さんです。
【お名前】
まことさん
【都道府県】
鳥取県
【性別】
女性
【年齢】
25
【ジャンル】
その他
【メッセージ本文】
うさぎさんはじめまして、わたしはくり返し考えては悲しくなってしまう事があります。
それは、私は「この人」という人に出会うことのない人生なんだなということです。
どういうことかといいますと才能のある人同士が出会わなければ生まれなかった曲とか、マンガとか、そういう作品ってありますよね。その片方やその才能ある人をささえる人に私はなりかったです。
でも私は凡人です。これからもそういう出会いが起こることはないだろうと思います。そういう私のような人が世の中の大半だということもわかっています。でもそういうエピソードを見聞きするたびに自分はそういう人生ではないんだ~~と泣きそうになります。
自分の手が届かない人生に対してどういう気持ちで向き合えば良いのでしょうか?
【中村うさぎの回答】
自分が凡人であり、特別なことを成し遂げるわけでもなく凡庸に生きて凡庸に死んでいくのが耐えられない、ということでしょうか。
まあ、その気持ちは私にもよくわかります。私もあなたくらいの頃には、自分が凡庸であることをひどく憎んでましたからね。
しかし、それから何十年も生きてわかったのは、私は自分が思っていたほど凡庸ではなかったということです。主に悪い意味でね。
絵に描いたように凡庸な人間なんて、おそらく存在しません。目を瞠るような才能がないからって、必ずしも凡庸とは言えない。必ずどこか他人と違う部分があるものです。
自分には何の才能もないなどと嘆くよりも、まずは自分の中の「他人と違うところ」から探してみてはどうでしょう?
自分は人と何が違うのか? それが、良くも悪くもあなたの個性となるわけです。才能なんかよりも、むしろ個性によって人生は展開します。
「才能のある人同士が出会わなければ生まれなかった」作品とあなたは言いますが、才能があっても世に出なかった作品は山ほどありますし、才能だけが作品を創っているのでもありません。
私は、才能よりも個性がその作品を創っているのだと考えています。どんなに文才があっても、表現すべきものがなければ、作品は生まれない。逆に凡庸な文章力でも、表現したいことがあれば作品は生まれます。そして、この場合の「表現したいこと」こそが作り手の個性であり、作品を創らせるモチベーションなのです。