ARTICLE 中村うさぎの人生相談

  • 相手に対して「信頼」できるかが、私にとって「家族」になる条件です。

  • 2015年11月09日 (月)

人生相談のお時間です。
今回は「レイミー」さんのご相談です。

 

【お名前】
レイミーさん

【都道府県】
東京都

【性別】
女性

【年齢】
29歳

【ジャンル】
恋愛

【相談内容】
うさぎさん初めまして、こんにちは!

うさぎさんがテレビ番組に出演しているのをキッカケにファンになりました。
うさぎさんの言葉や生き様が好きです。

相談内容は、お付き合いしている男性の、家族についてのことです。

彼は、3人姉弟の末っ子なのですが、お姉さんは重度の障害者(自分では何も身の回りのことが出来ない)、お兄さんは100キロを超す巨漢の引きこもりのほぼニートなんです。

だから何?と言われると思いますが、わたしは彼との将来のことを考えた時、この2人の面倒は誰が見るのか、最終的には彼とわたしなんだろうなと考えて、勝手に暗い気持ちになり、生理前などは不安定になり、彼に否定的な言葉を浴びせてしまいます。

さっさと別れてしまえば済む話だし、そうで無ければ愛する彼の為にどんな障害も受け入れる覚悟をすれば良いだけの話、、、なのですが、どちらも決断出来ない自分自身がいます。

ちなみに、彼はわたしに家族の世話は一切させる気は無いと言ってくれています。

わたしは正直、将来両親の介護をするのも不安で、お金があれば施設に預けたいと思っています。
年寄りのおむつを変えるとか、実際介護している方には大変申し訳ないですが、極力やりたくありません。だから、彼の姉兄も、万が一こちらが世話しなくてはならないとなった時を考えると、絶望的な気持ちになります。

彼の家族を差別と偏見の目で見てしまい、介護という将来の現実に向き合いたくないわたしに喝を入れて頂けないでしょうか。

よろしくお願いします。

 

【中村うさぎの回答】

えーと、まず最初に言いたいのですが、「介護をしたくない」という気持ちは「差別」でも「偏見」でもありません。
「差別」というのは障碍者に対して侮蔑や嘲りを抱くことで、「偏見」というのは「障碍者なんてこんなものだろう」と決めつけることで相手の限界や能力を勝手に制限してしまうことなので、どちらも「介護が嫌」という気持ちとはまた全然別の感情です。

たとえばあなたがお姉さんのオムツ替えが「汚い」と感じるのは、それが障碍者の便だからではなく健常者の便でも「汚い」と思うのでしょうから、それは「差別」でも「偏見」でもない。

相手がどんな人間であっても「便は汚いし、触るの嫌」と平等に嫌悪を感じるわけですから、そう思ってしまう自分を責める必要はありません。

なので、もしあなたが「介護が嫌」という自分の気持ちを「障碍者への差別」だと思ってそこに罪悪感や自責の念を抱いているのであれば、そんなものはさっさと拭い去ってしまったほうがいいと思います。
「介護したくない」という気持ちはきわめて当然な感情で、「働きたくない」とか「勉強したくない」とか「掃除したくない」という気持ちとたいして変わりません。
人はたいてい苦労や負担など引き受けたくないからです。

ただ、どんなに働きたくなくても勉強したくなくても掃除したくなくても、人は嫌々ながら働いたり勉強したり掃除したりするわけですが、それは「自分のため」なので仕方なくやっているだけです。
人は自分のためなら少々の苦労や負担も我慢できるからです。

一方、「介護」は「自分のため」というより「他人のため」なので、それで自分に何の見返りもなければ、そりゃやりたくないに決まってます。
「愛する人の家族だから」という理由で介護する人はいるでしょうが、その行為が愛する人に評価してもらえなかったりすると、たちまち「なんで私ばかり!」という気持ちになるものです。
つまりそれは「自分を評価して欲しい」という気持ちからやっているわけですから、結果的には「自分のため」と言えるわけですね。

 

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