このコーナーに寄せられるお悩みには、ある種の傾向が見られるような気がします。
前回の「よしこ」さんも、その前の「泉」さんも、その形態こそ違え、ともに「承認欲求」の悩みでした。
そして今回の「平祐」さんも、また別のタイプではありますが、やはり「承認欲求」の問題です。
人間は他者との関係性の中で「私」を形作っていく生き物なので、他者の視線にまったく無頓着ではいられません。
「よしこ」さんは他者と自分を引き比べては劣等感や嫉妬に苦しみ、泉さんは他者から羨望されたいという自己顕示欲に悩んでいました。
では、今回の「平祐」さんは、どんな「承認」の悩みを抱えているのでしょう?
さっそく読んでみましょう・
【お名前】
平祐さん
【都道府県】
東京都
【性別】
男性
【年齢】
38歳
【ジャンル】
人間関係
【相談内容】
うさぎさん、はじめまして。
僕の悩みは、他人の評価が気になりすぎて、萎縮してしまうことです。
たとえば、人との会話で偶然面白いことを言えて「僕さん面白い!」とか言われると、
その評価を落としたくなくて次からはギャグが言いにくくなります。
でも本当は自分がつまらないことなんて百も承知してるので、「次またトライしたら失敗するかも」
「そしたら評価を落としてしまう」「評価を落とすくらいなら大人しくしていよう」なんて思ってしまうのです。
こうやって大人しく、無難にしていれば確かに一気に評価は落ちないかも知れませんが、段々存在感が薄くなっていきます。
こういう傾向は会話以外でも多々あります。
他人の評価を物凄く求めている、そしていざ運良く評価されると、めちゃくちゃ嬉しい一方で、「この評価を維持させたい」
「でも難しそう」「なら大人しく、無難にしとくか」なんて考えてしまいます。
そして、トライ出来なくなってしまうんです。
だから、嫌われたり、否定されるのが怖い一方でいざそうなると安心している自分がいます。
もう失うものがないので、気楽に思い切ったことができる。
そういう状態で行動すると割と上手くいくことが多いので、そこで評価され、そうするとまた失うのが怖くなり
萎縮してしまう、、この繰り返しです。
好かれようと嫌われようと、評価されようと貶されようと、どんどん自分を表現して生きたい。
人の評価なんて気にせずに、いや、気にしたとしても、どんどん前に打って出るには、どうしたらいいでしょうか?
うさぎさんの意見を伺いたいです。
【中村うさぎの回答】
平祐さん、あなたがラクになるためには、もっと図々しくならなくてはなりません。
あなたは他人の期待に応えたい。
何か面白いことを言ってウケたら、次からもずっと「面白い人」でなければならない、と思ってしまうわけですね。
でも、どう考えても、それは無理だ。
いつもいつも面白い人なんて、この世にはいないからです。
それはあなたもわかってて、だから「一度受けた評価を落とさないためにおとなしくしていよう」なんて萎縮してしまう。
しかしですね、他人はあなたが思っているほど、あなたに期待はしてないものですよ。
たまたまあなたを「面白い」と思ってくれたとしても、いつまでもそれを覚えてくれてるわけでもないし、「いつも面白いこと言って欲しい」などという期待も抱いてはいないでしょう。