ARTICLE 中村うさぎの人生相談

  • 我々はみんな二流であり、私たちの悩みは、「二流の人の悩み」そのものなんです

  • 2015年03月09日 (月)

今回は「嫉妬」というものについて考えたいと思います。

ちなみにここで扱う「嫉妬」とは、恋愛相手の浮気に怒ったりするような類のものではなく(それはそれで苦しい感情ではありますが、今回扱うのとは原因も現象もまったく別物です)、「私はこれでいいのか」という問いを含む「嫉妬」……すなわち、己の生き方や在り方に対する不安から、幸福そうに生きている他者を羨み、妬ましく感じてしまう気持ちです。

そう、「他者」の存在は常に「」の存在を脅かします。
我々は常に自分と他者を引き比べては劣等感に苛まれ、自己不全感に苦しむのです。
そのくせ、いや、だからこそ、「他者」の承認を必死で求めてしまう。
前回のご相談者の泉さんのように、「人から認められたい、羨ましがられたい」という自己顕示欲とナルシシズムに苦しめられるのです。

我々は常に「他者」に裁かれ、「他者」に赦される。
今回のご相談者の「よしこ」さんも、形は違えど、前回の泉さんと同じ病を抱えています。
では、さっそく彼女のお悩みを聞いてみましょう。

 

【お名前】
よしこさん

【都道府県】
東京都

【性別】
女性

【年齢】
45歳

【ジャンル】
仕事

【相談内容】
こんにちは。
買物依存の頃の作品から、ずっと拝読させていただいております。特に自意識に関する著書には、深く考えさせられ、大きな影響をうけています。今後も、うさぎさんの著書を拝読するのを楽しみにしております。

私は、現在大学で教員をしており、人間関係やお給料に不満はなく、恵まれた環境と思っています。

悩みは、この働きやすい環境にも関わらず、自分の能力の低さに対する情けない気持ちと、他の方たちへの妬みというか羨ましさで、苦しくなってしまうことです。

大学に勤務できたのは、私の仕事能力が優れていたわけではなく、たまたま?というか、タイミングが良かったのだと理解しています。
能力が足りないなら、もっと勉強すればよいと頭では理解しているものの、十分実行に移せず・・・、その事実にまた情けない思いが湧いてきます。

上記のような状態ですので、仕事は楽しいと思う一方で、自分に自信がなくて、他の人の素晴らしい仕事ぶりに嫉妬してしまいます。
そして、「元々、頭の良い人には追いつけない」「いやいや、努力が足りないんだ」と、堂々巡りしています。

うさぎさんが自分のコンプレックスとどのように向き合い、日々のお仕事をされているのか、聞かせていただけないでしょうか。

悩み相談になっておりませんが、どうぞよろしくお願い致します。

 

【中村うさぎの回答】

よしこさん、私も自分の仕事にはまったく自信がありません。
もっと明晰で深い洞察にあふれ、読者の心に突き刺さるような作品を書きたいのに、能力が圧倒的に不足していて、いつも中途半端なものしか書けない。
それは私が二流だからです。

以前はこんな自分が嫌で、なんとか努力して一流になりたいと願っておりましたが、努力するほどの根性も才能もなく、だらだらしているうちにこんな年になってしまいました。
今では自分が二流であることを受け容れ、「しかし、二流で何が悪いのだ」と開き直っている始末です。

そもそも、何故に我々は、自分が一流でないとダメだと思ってしまうのか。

いや、よしこさんはきっと「一流になりたい」などとは思っていないのでしょうが、それでも自分より優れている(ように見える)他者と己を引き比べ、「私はなんてダメなんだろう」と落ち込む時点で、「自分は他者と同等か、それ以上でありたい」と願っているわけです。

だが、その「他者」もまた、自分と誰かを引き比べ、自分に足りないものを数え上げては自己嫌悪に陥っているに決まってます。
そうなんですよ、我々はみんな二流なんです。
私たちの悩みは、「二流の人の悩み」そのものなんです。

じゃあ、「一流」の人なんて、この世にいるのか?
まぁ、いるかもしれませんが、おそろしく少数の、それこそ「選ばれし人々」です。
一流に見える人、世間から一流と評価されている人でも、我々と同じ「二流の悩み」に苛まれているに違いなく、それはとりもなおさず、その人たちが一流ではないことを証明しています。

 

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