ARTICLE 中村うさぎの人生相談

  • 「信じる者は幸いである」とは、よく言ったものです。

  • 2014年08月08日 (金)

こんにちはー、「人生相談」のお時間ですよー。

今回のご相談は、クリスチャンの方からです。
キリスト教信者でない方々にはピンと来ないお悩みかもしれませんが、私が個人的にすごくツボだったというか、ウケてしまったので、こちらを取り上げることにしました。

テーマは「人間に魂はあるのか」という問題なので、無神論者の方も仏教徒の方もそれぞれの立場から考えていただけると幸いです。

では、さっそくご紹介しましょう。
「まいこ」さんからのご相談です。

【お名前】
まいこさん

【都道府県】
東京都

【性別】 
女性

【年齢】
32歳

【ジャンル】
その他

【相談内容】
中村うさぎ様

いつも著書を楽しく読ませていただいています。

ところでうさぎさんが臨死体験されたことについて、私は若干ゆらぎを覚えたことがあります。

私はキリスト教求道者です。
死んだら、天国に生き、イエス様と一緒に天の宴をするのだと教えられ信じてきました。
うさぎさんもキリスト者だと思いますから、私なんかよりそのことはもっとよくご存知かと思います。

が!
うさぎさんが臨死されたとき無?無我?の状態になったと聞きました。
つまり、死んでも天の御国はないのでしょうか…???
うさぎさんがもっと本当に死んでしまったら(不謹慎ですみません)、そこには天国があったのでしょうか。

私の教会には誰一人、死を体験した人はいません。だからこそうさぎさんにしか死後の世界を聞きたいのです。
キリスト者に、死後は天の宴があるのかないのか…やっぱりないんでしょうか。。。
私達はそこに向かっていて、それが希望だと日々教えられていますが、それが違ったらびっくり仰天なのです。

よろしくお願いします。

【中村うさぎの回答】

まいこさん、私の臨死体験から導き出された結論から申し上げますと、
天国なんかありません
↑と、こういうことになります。

私は、呼吸停止、心肺停止、除脳硬直(要するに脳死)まで経験し、それは現代の医療現場では立派に「」に該当します。

つまり、医学的には私は一度死んだのです。

そして、その時の私の目の前には、天国の門も地獄の門も出現しなかった。
テレビの電源が切れるように、プツンとブラックアウトして、そのまま終わりました。
私はその瞬間、「」という自我さえ喪失して(したがって悲しみやら喜びやらといった主観的な感情も喪失して)、何者でもなくなった状態で「」の闇に溶けていってしまいました。

その後、医師や看護師たちの必死の心臓マッサージによって心臓は動き始めたものの、人工呼吸器を付けてなければ自力で呼吸もできず、意識も戻らないまま、3日を過ごしました。

3日間も、「ほぼ死んだ状態」にいたわけですよ。

それでも私は天国にも地獄にも行きませんでした。
天国に行く」とか「地獄に行く」とかいった体験は「」という主体があってこそだと思うのですが、その3日間の私は「」という主体も失くしていたので、どこにも行かず誰とも会わず(←死んだお祖母ちゃんに会ったなんて人もいますが、私の場合は誰も出て来ませんでした)、何も感じず何も考えず、およそ「」という主体が体験しそうなことは一切体験せずに真っ暗な「」の闇の中に溶け込んでいたのです。

で、その体験から私は、「」とは「絶対無」であり、我々は死んだら「自我」も「主体」も喪失する、と結論づけたわけですが、この私の論にはいくつか反論をいただいてます。

 

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