人生相談のお時間です。
今回のご相談者は「けいんおすぎ」さんです。
【お名前】
けいんおすぎさん
【都道府県】
神奈川県
【性別】
女性
【年齢】
29
【ジャンル】
人間関係
【メッセージ本文】
うさぎさん、「友達」とは何でしょうか。
私は友達がいません。本当にいません。
結婚式を開いても呼べる人はたぶん0です。
お葬式なら数人は来てくれるかもしれません。
私は環境が変わると相手に興味を失くしてしまいます。
学生時代の友達も卒業したら会いたいと思わなくなりました。
就職してからも仲の良い同期もいましたが、職場が変われば連絡しなくなりました。
私は友達は環境絵で変化していくと思ってました。
なので関心がなくなるのはしぜんなことかなと。
事実、今までは新しい環境になれば自然と人間関係ができ、「友達」もできました。
しかし、歳をとるごとに自分を曝け出せなくなり「友達」を作ることができなくなりました。
そして私は友達がいなくなり、独りなんだと気がつきました。私が今までに人間関係を大切にしなかったツケが回ってきたのだと思います。
「友達」と思っていたけど、私はその人たちを道具としか見てなかったのかもしれません。
寂しくないためだけに一緒にいる存在だったのかも。
うさぎさん、友達は環境が変わっても友達として交流していくのが普通なのでしょうか?
人間は他人に対してどれだけ熱くなれるのでしょうか?
私はエネルギーがないのです。
連絡するのも出かけるのも面倒くさいのです。
張り合ったり比べたりする自分も嫌いです。
そして嫌われるのも怖いです。
とにかく人間関係が苦手です。
でも友達が一人もいない自分に気がついた時、これで良いのかととても不安になりました。
大人になってから友達になるのがこんなに難しいとは思いませんでした。
友だちがひとりもいないのはおかしいですか?
今は大丈夫です。
独りでも時々すごく寂しくなるけど、まぁ快適です。
でもそのうち寂し過ぎて死にたくなるのでしょうか。
私はどうしたら良いのかわかりません。
昔の友達だった?人たちに連絡をしてまた関係を築いていけばいいのか。
それとも開き直るべきか。
結婚も考えましたが、男の人がそこまで好きじゃありません。
まとまりのない文章ですみません。
言葉にすると、自分の心が少しわかりました。
今までは皆も同じようなものだと思ってたけど、私が考えているより人は人を大切に感じるものなのでしょうか。
うさぎさんは死ぬまでに伝えたいと思うほど人に関心があり、他人のために自分ができることを探して生きてます。
私は自分の時間が少なくなった時、その時間を他人のために仕える気がしません。
むしろみんな死ねと思いそうで、そんな自分が気持ち悪いです。
私も他人のために与えることを惜しまない人間になりたいです。
というか、惜しんだとしても与えられる人間になりたいです。
人との差でしか自分の価値を感じられない自分も嫌いです。
【中村うさぎの回答】
けいんおすぎさん、まず、あなたは思い違いをしています。
私が「死ぬまでに伝えたいこと」を書いているのは、他人に関心があるからではありません。
私が文章を書くのは、他人のためではなく、完全に自分のためです。
他人を救うことより自分を救いたくて書いているのです。
自分を救うついでに、似たような誰かが救われてくれればラッキーかな、程度の気持ちです。
私は自己顕示欲と利己主義とナルシシズムの塊です。
「他人に何かを与えたい」と思っていたとしても、それは利他精神ではなく、功名心や手柄感が欲しいからです。
なので、「私が考えているより人は人を大切に感じるのか」という問いに対しては、「そうでもないよ」というのが私の偽らざる感想です。
はっきり言って、みんな、自分のことしか考えてません。
「誰かのために」とか言う人もいますが、それをほじくっていったら、結局は「自分のために」に行き着くと思います。
が、「自分のために生きること」は、はたして悪いことなのか?
私は全然そうは思いません。
自分のためにしたことが結果的に誰か他の人のためになれば、それはいいことだと思いますが、だからって他人のために生きる必要はありません。
あなたは友達を「寂しさを紛らわす道具にしている」とおっしゃってますが、皆そうですよ(笑)。
友達なんて、そんなもんです。
愚痴を聞いて欲しいとか、かまって欲しいとか、誰かに大切に思われたいとか、そういう動機で人は友達を作るのです。
みーんな、自分のためです。
あなたが想像しているような「心の底から他人を大切に思い、友達のためなら何でもする」なんて人間は、この世にほとんどいないわよ。
そんな気になってるだけです。
「誰かのために」というのは、それが気持ちいいからです。
自分は誰かに必要とされてると思うだけで、自分の価値が上がる気がするからです。
要するに「友情」なんて自己満足であり、そんなに崇高なもんではありません。