ナンパ師ズラットピットとは・・・?ww
「中村直腸の説話」
第三回目ゲスト
くらたまさん(倉田真由美さん)
http://amba.to/1xCmapX
動画はコチラ
http://bit.ly/2CKmM6j
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2014年8月14日(木)、中村うさぎの著書
『花も実もない人生だけど』がKindle版で発売されます。
ヘレン・ケラーが何をしたか知らない、自分の誕生日を覚えられない、という逸話を持つ無知なホストに足繁く通い、プチ整形と買い物にあけくれる日々。
自らの体験を赤裸々に綴り豪快に笑いを誘いながらも、時に痛快に世相を斬り、時に鋭く人間の本質に迫る、中村うさぎ渾身のエッセイです。
皆様、是非チェックしてくださいね!
出版社:ゴマブックス株式会社
発売日:2014/8/14
Kindle版:132ページ
キャッシュカードに暗証番号を書き込むわ、
「勤労感謝の日」と「敬老の日」の違いがわからないわ、
フォアグラを「何のレバーだっけ? カボチャ?」とのたまうわ……
そんな超絶無知なホストにどハマリする日々。
モテたい願望からプチ整形で若さと美貌を手に入れたが、いっこうにモテないと嘆く。
ダイエットが成功した際には過去を振り返り、自分にとっての快感は「依存症」の入り口だと気づく――。
見栄や嘘で自らを塗り固め、他者の承認を求めずにはいられない人間とは? 神とは? 幸せとは!?
自らの体験を赤裸々に綴り豪快に笑いを誘いながらも、
時に痛快に世相を斬り、時に鋭く人間の本質に迫る、中村うさぎ渾身のエッセイ!
※本書は、2004年4月に角川書店より発売された『花も実もない人生だけど』の電子書籍化となります。
大好評をいただいている「中村うさぎの人生相談」ですが、まだまだ、相談内容を絶賛募集中です。ご応募はコチラより受付中です。
いまなら採用確率「大」↑↑↑です。
毎週、中村うさぎ本人が真剣に回答させていただいております!
採用された方には、中村うさぎオフィシャルサイト事務局より、応募の際にご入力いただくメールアドレス宛に直接ご回答をさせていただいております。
こんにちはー、「人生相談」のお時間ですよー。
今回のご相談は、クリスチャンの方からです。
キリスト教信者でない方々にはピンと来ないお悩みかもしれませんが、私が個人的にすごくツボだったというか、ウケてしまったので、こちらを取り上げることにしました。
テーマは「人間に魂はあるのか」という問題なので、無神論者の方も仏教徒の方もそれぞれの立場から考えていただけると幸いです。
では、さっそくご紹介しましょう。
「まいこ」さんからのご相談です。
【お名前】
まいこさん
【都道府県】
東京都
【性別】
女性
【年齢】
32歳
【ジャンル】
その他
【相談内容】
中村うさぎ様
いつも著書を楽しく読ませていただいています。
ところでうさぎさんが臨死体験されたことについて、私は若干ゆらぎを覚えたことがあります。
私はキリスト教求道者です。
死んだら、天国に生き、イエス様と一緒に天の宴をするのだと教えられ信じてきました。
うさぎさんもキリスト者だと思いますから、私なんかよりそのことはもっとよくご存知かと思います。
が!
うさぎさんが臨死されたとき無?無我?の状態になったと聞きました。
つまり、死んでも天の御国はないのでしょうか…???
うさぎさんがもっと本当に死んでしまったら(不謹慎ですみません)、そこには天国があったのでしょうか。
私の教会には誰一人、死を体験した人はいません。だからこそうさぎさんにしか死後の世界を聞きたいのです。
キリスト者に、死後は天の宴があるのかないのか…やっぱりないんでしょうか。。。
私達はそこに向かっていて、それが希望だと日々教えられていますが、それが違ったらびっくり仰天なのです。
よろしくお願いします。
まいこさん、私の臨死体験から導き出された結論から申し上げますと、
「天国なんかありません」
↑と、こういうことになります。
私は、呼吸停止、心肺停止、除脳硬直(要するに脳死)まで経験し、それは現代の医療現場では立派に「死」に該当します。
つまり、医学的には私は一度死んだのです。
そして、その時の私の目の前には、天国の門も地獄の門も出現しなかった。
テレビの電源が切れるように、プツンとブラックアウトして、そのまま終わりました。
私はその瞬間、「私」という自我さえ喪失して(したがって悲しみやら喜びやらといった主観的な感情も喪失して)、何者でもなくなった状態で「無」の闇に溶けていってしまいました。
その後、医師や看護師たちの必死の心臓マッサージによって心臓は動き始めたものの、人工呼吸器を付けてなければ自力で呼吸もできず、意識も戻らないまま、3日を過ごしました。
3日間も、「ほぼ死んだ状態」にいたわけですよ。
それでも私は天国にも地獄にも行きませんでした。
「天国に行く」とか「地獄に行く」とかいった体験は「私」という主体があってこそだと思うのですが、その3日間の私は「私」という主体も失くしていたので、どこにも行かず誰とも会わず(←死んだお祖母ちゃんに会ったなんて人もいますが、私の場合は誰も出て来ませんでした)、何も感じず何も考えず、およそ「私」という主体が体験しそうなことは一切体験せずに真っ暗な「無」の闇の中に溶け込んでいたのです。
で、その体験から私は、「死」とは「絶対無」であり、我々は死んだら「自我」も「主体」も喪失する、と結論づけたわけですが、この私の論にはいくつか反論をいただいてます。