ARTICLE 中村うさぎの人生相談

  • 人間はそんなに簡単にナルシシズム病から脱却できるものではないと思うからです。

  • 2015年06月05日 (金)

私たちは自分のためにしか生きていけない生き物です。
他人のためとか思っていても、突き詰めてい行けば「人のために生きる私」にうっとりしているに過ぎなかったりして、結局は「自分のため」なのです。

しかし、自分のために生きるのはいけないことでしょうか?
そんなわけ、ないですよね。
ていうか、私が自分のために生きてあげなきゃ、他の誰が私のために生きてくれるって言うんでしょ。

だから、「自分のために生きる」のはいいんです。
ただ、そのためには自分を理解しなくてはなりません。
だって、そうでしょ?
誰かのために生きるとしても、相手を理解してなかったら、見当違いな善意や独善的な奉仕で逆に相手を追い詰めたりしてしまうもの。
そんなの、まったく、相手のためにはならない。

自分のために生きる」のも、同じことです。
自分を理解しなければ、自分を幸せにするどころか、追い詰めてしまうことになる。

と、まぁ、こんなことを言うのも、そういうふうに自分を追い詰めている人たちが少なからずいるような気がするからです。
自分に過剰な期待をして、それに応えられない自分に激しく失望したり。
自分が何を欲しているかがわからずに、とんちんかんな物を求めて奔走し、それを手に入れた途端に「これじゃなかった!」と愕然として投げ捨てたり。
……って、これ全部、私のことじゃん!

そう、私は上記のような愚かな人間です。
自分のことがまったくわかってないから、自分を幸せにしてやることもできない。
困ったものですが、私に似た人はこの世にたくさんいるみたいで、そういう人たちがこのコーナーにメールをくださるのです。

今回は「さくまだいち」さんという男性のご相談者です。

 

【お名前】
さくまだいちさん

【都道府県】
千葉県

【性別】
男性

【年齢】
-歳

【ジャンル】
その他

【相談内容】
私は26歳で、会社員をしています。
私は昔から人に対して勝っている、負けているで人をみてしまいます。負けていて、なにくそ!と思って奮起できるような性格だったらよかったのですが、怠け者でプライドが高く、学生時代は勉強や、友人関係など自分ができないことにぶつかるといつも理想の自分になれないことに苦しみ逃げてしまう人間でした。そのような積み重ねからまったく自分に自信がもてず、何をするにも劣等感を感じてしまい、新たな事に挑戦しようにもいつも二の足を踏んでしまいます。また、自分を好きになれる要素がないので、周りの人も好きになることができそうにありません。

才能の無い人間が社会に溶け込むには
いろいろな事に妥協して折り合いをつ
ける事が大事なのはわかりますが、自
分の軸が無いまま

(自分を好きになれない
まま)、妥協して流されて生きていくのも
どうかと思います。かといって自分一人で
生きていくような才覚もありません。

自分の至らなさに
死ぬまで悩み続けなければならないと思うと苦しく、どうしようもない気持ちになります。(死んでしまったほうが良いような)

質問としてうまくまとまっていないかも
しれませんが、何かアドバイスをいただけ
たらと思います。

よろしくお願いいたします。

 

【中村うさぎの回答】

さくまさん、あなたは私にそっくりです。
人一倍負けず嫌いなくせに何の努力もしたがらず、負けそうになったら逃げて、そんな自分を嫌悪し続ける。
なんとか自分で自分を承認したいのですが、「誰にも負けない自分」なんて非現実的なセルフイメージを抱いているばかりに、永遠に「等身大の自分」を承認できない。

うん、わかりますよ。
あなたの苦しみはよくわかるし、あなたの愚かさも我が事として実感できます。
私たちは同じ病に罹っているのですよ。

「ナルシシズム」という病にね。

自分の至らなさに死ぬまで悩み続けなければならない」と、あなたは言います。
私もそんなふうにちょくちょく自分にウンザリして、こんな自分のまま生きていくのは苦し過ぎるなどと思うのですが、しかし、自分に満足して生きてる人なんてこの世にどれだけいるでしょうか。

人は自分になんか到底満足できないんです。
だからお坊さんは「足るを知れ」などと言うのです。

 

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