ARTICLE 中村うさぎの人生相談

  • 中村うさぎの人生相談第三弾

  • 2014年01月21日 (火)

お待たせしました(待ってないか……笑)。
人生相談第三弾です。

今回は「けんた」さんからのご相談です。
相談内容を読んで「こういう人、多いんじゃないかな」と思いました。皆さんも心当たりがあるんじゃないかな?
では、さっそくご紹介しましょう。

 

【コメント登録日】
2013年11月06日 18:13

【相談者】
けんたさん

【相談内容】
素敵なパートナーがそばにいるって 本当に恵まれてると思います。それ以上の幸せ、自分はまだ知りません。
くらたまさんに言われた言葉で泣いたうさぎさんの話でほろりと泣いてしまいました。

うさぎさんに、直接人生相談が出来るなんて!たとえ答えてもらえなくっても、嬉しいです。
そしていろいろと考えてみましたが、結局たいがいの悩みは自分次第という結論に行き着いてしまいました。

そんな中1つ。
うさぎさんは、生きている限り出くわしてしまう理不尽な人、出来事が自分に降り掛かったとき、どう気持ちを整理しま すか?
僕はそういう状況になったとき、しばらくイライラが続き、いろんな物事に影響してしまいます。
人生笑ってる時間が多い方がいいと思っているので、後で落ち着くいたとき、ああさっさと気持ち切り替えてりゃいいの に、ばかだなあと思ってしまいます。

完全に気持ちの動揺をなくす事は無理だと思いますが、より早く平常心に戻るにはどうしたらよいですか?
もし何か考えをお持ちでしたら、ぜひお聞きしたいです。

でもこの質問より何より、うさぎさんが元気になって、また水曜5時にお会いする日が一日も早く来るよう願っていま す。

うさぎさん大好き!

 

【中村うさぎの回答】

けんたさん、あなたの気持ちはよくわかります。

私も若い頃はこういうことがよくありましたし、55歳にもなった現在でもたまにありますよ。

 

世の中、理不尽な人々や出来事ばかりですからね。

 

まぁ、理不尽な出来事に対する怒りに関しては、どんなに腹立たしくても自分の力ではどうにもできないことなので、これは「仕方ない。人生、そういうもんさ」と諦めるしかないと思います。

ですから、今回は「理不尽な人たち」……すなわち「対人関係」に話を絞ります。

 

私はある時期から「人から嫌われること」が平気になってしまいました。というのも、どんな人からも好かれるなんてそもそも不可能だし、私のことを嫌いな人は私が何をしても理不尽な攻撃しかけてくるので、「じゃあ、勝手に嫌ってろよ」と開き直ってしまったからです。

以来、「あなたにとってどんなに嫌なことでも、言いたいことは言わせていただきますよ」という姿勢を貫くようになり、それで随分とラクになりました。

 

けんたさんが「理不尽な人々」に対するイライラをいつまでも抱えてしまうのは、その場で相手に対して言いたいことをぐっと抑え込んでしまい、その不満がずるずると尾を引いてしまうからではないでしょうか?

もちろん、相手が会社の上司だったりして、言いたいことを呑み込まざるを得ないことも多々あるでしょう。

その点は、べつに上司もいないし敵を作っても痛くも痒くもない自営業の私とは大きな違いはあるかと察します。

 

でも、もしも対等な関係である友人や恋人(もしくは妻)に対してさえそうであるならば、けんたさんの「理不尽な他人への怒り」は、あなた自身の「嫌われたくない病」に根差しているような気がするのです。

 

人は、できれば誰からも嫌われたくないものです。

そんなのは当たり前ですが、嫌われないで生きていくことなんて不可能です。

嫌われないように他人に迎合すれば、「あいつ、八方美人だよな」と反感を抱く人は必ず出てくる。

下手をすれば「媚びてる」とか「ゴマすり」とか言われてしまうかもしれません。

せっかくこちらは気を遣っているつもりなのに、そんなこと言われるのは不本意ではありませんか。

 

たとえ相手にとって耳の痛い言葉であっても、それが自分の本心なら、はっきりと言っても構わないのではないかと私は思います。

それもまた、ひとつの「」だと考えるからです。

相手がそれを理解してくれず「ひどいヤツだ」と思うようなら、そんな人間とハナから対等な人間関係なんて作る必要はありません

どうせ向こうは、あなたを理解できないのですから、今ここで相手の気持ちを慮って言いたいことを我慢しても、また二度も三度も同じような事が起きるでしょう。

 

そんな対人関係、無駄だと思いませんか?

 

人生に友人の数はそんなに大勢必要ではありません。

私もこの性格が災いして、親友と言える相手はきわめて少数です。

しかもその大切な親友たちをも、しばしばムッとさせてしまいます。

でも、彼ら(彼女ら)は基本的に私を理解してくれてるし、私が彼らを愛していることもわかってくれているので、関係はしばらくすると修復できます。

もちろん私も、彼ら(彼女ら)を理解しようと努力しますし、常に正直で真っ向から向き合うように心がけています。
それが私にとっての「誠実さ」だと思うからです。

お互いに言いたいことを言い合える、愛と信頼に根差した人間関係なんて、そんなに持てるものではありません。

 

だからこそ、友人なんてものはごくごく少数でいいんです。

 

嫌われたくない病」の人は、それができないから、結局は薄っぺらい表面的な対人関係しか築けません。

そして、ますます孤独と不満を募らせるのです。

 

まずは周りを見渡して、「こいつなら腹を割って話せるかな」という相手を探してみましょう。

もちろん、こっちが腹を割っても相手に拒絶されるケースもあるでしょうが、そんな傷のひとつやふたつ、何だというのです。

人間、傷つかずに生きていくことなんてできません。

相手を傷つけることを恐れる人は、じつは自分が傷つきたくないだけなのです。そういうのを「臆病」と言います。

 

それでもあなたが「中村の言うことは極端だ。自分にはそんな真似はできないし、したくもない」と思うのなら、今のまま、言いたいことを我慢しイライラしながらて生きるしかありません。

それもまた、ひとつの選択です。

 

私は自分の言ってることが正しいなんて全然思ってません。

 

ただ、どんな生き方をするにせよ、必ず失うものがあることを覚悟して選択したほうがいいかと思います。

本音をぶつけ合って傷つけ合いながら友人をどんどん失っていくか、本音を押し隠して広く浅く大勢の友人に囲まれながら自分を見失っていくか、腹を括ってどちらか選びましょう。

腹さえ括れば、人生、そう捨てたものではありませんよ。

嫌なこともあるでしょうが、いいこともきっとたくさんある。それが「生きる」ということです。