「人生相談」のお時間です。
今回は「シモーヌさん」という男性からのご相談ですね。
ちなみに文中にも書かれていますが、シモーヌさんはゲイのようです。
このコーナーには、たびたび、ゲイの方からのご相談が寄せられます。
私の読者は圧倒的に女性とゲイが多いからです。
このメルマガの購読者に「オカマ嫌い」の人がいるかどうかわかりませんが、私はぜひ「オカマ嫌い」の人たちにもこのコーナーを読んで欲しいと思います。
ゲイの人たちの悩みに共感や感情移入を抱くことができれば、たとえノンケであっても、その人は「オカマ心」を持っていると言えるでしょう。
そして、この「オカマ心」こそ、これからの社会を読み解いていくのに不可欠なメンタリティだと私は考えています。
「オカマ心」を全然持ち合わせない人、あるいは嫌悪して理解しようとしない人たちは、確実に時代から取り残されていくでしょう。
そういうオヤジが作っている雑誌も、どんどん読者から見放されていくでしょう。
まぁ、正直、「ざまーみろ」と思わなくもないのですが、やはり一人でも多くの人に「オカマ心」を学んで欲しいので、このコーナーでも積極的にそういう相談を取り上げていきます。
どうしてもイヤなら、読まなくて結構ですよ。
【お名前】
シモーヌさん
【都道府県】
沖縄県
【性別】
男性
【年齢】
23歳
【ジャンル】
その他
【相談内容】
「中村うさぎさん、こんにちは。
『私という病』を読んで以降、ここ数か月の間、うさぎ中毒になっています(笑)。大義名分のために闘わねば!と社会問題(原発とか)や政治に興味を持ってましたが、うさぎさんの本と出会って、自分は自分の苦しみに蓋をしてるなあと自己欺瞞に気付きました。それから、天秤が急に傾くように、社会問題は置き去りにしたまま、「個」の問題にどっぷりつかってる今日この頃です。社会問題、個=私の問題、どっちも直視すると苦しいけど、自分を見つめることができてよかった。自分は女ではないけど、男の人(誰でもいいわけではないんですけどね)に欲望してしまう性だから、なんか、うさぎさんの本は、とてもとても共感するところがあり、本は伏せんでいっぱいです。うさぎさん、いろんなことに気づかせてくれて、ありがとうございます!
前置きが長くなってすみません。
相談ですが、自分はなぜ「男」であることを肯定できないのか、ということです。自称も「俺」「僕」とかって言えない。男性ジェンダーをなるべく脱色したいという願望があり、例えば、脱毛や日焼け止めをぬりたくったり、声をなるべく高くして話したり、ダイエットしたり、などに余念がありません。鏡に映った自分の顔が男っぽく見えると、自己嫌悪にかられます。それで、トランスジェンダーかなとも思ったのですが、「女」になりたいわけではなくて、「中性」にものすごく憧れれるんです。
その理由をずっと考え、悩んできました。最近、エステ(初体験でした)から帰宅し、鏡を見たら、自分の顔がかわいく(自分で言うなって話ですよね)・女の子っぽく見え、うれしくなっていたとき、ふと、のど仏に目がいったんです。「ゲッ、気持ち悪い」と思い、「そういえば、中学のころから気になっているなぁ」と考えたとき、思春期のころの嫌悪感がまざまざと蘇ってきたんです。
思春期以前の身体(子ども=ジェンダー化される前の中性的な身体)に対する強いあこがれ、そして思春期の第二次性徴時の恐怖を思い起こしました。自分はいま23ですが、当時の思春期のときの身体的変化(のど仏が出、ヒゲが生え、声が低くなり、といった)が不気味で、ずっとそれに蓋をして考えないようにしてきました。自分がこんなに男らしさに嫌悪するのは、思春期にあったのではないかと思ったのですが、考えすぎでしょうか。
自分的にすごく納得したのですが、でも、それだけに、すごくずれた解釈をしていないか、ジェンダー論や心理学などの後知恵ではないか、と考えれば考えるほど、わからなくなります。また、男の身体的特徴に嫌悪するくせに、なぜか「ペニス」に対する嫌悪がないのは、子どものころから付いていたからかな、とか考えます。「射精」に対しても嫌悪感を抱かないのは、それが快感と結びついているからかなとも考えます。
というか、自分でこんなふうに自己分析をして、「よっぽど自分語りが好きで、自分を分析するのに酔ってるんだ」と思うと、なんだか苦しくなります。でも、誰かに聞いてほしいという気持ちがものすごくあります。
うさぎさんは、私の「男」についての解釈にどのように思われますか?男性で思春期でこんなにトラウマ(ジェンダー・アイデンティティのゆらぎ?)になるのは、やっぱり自分がゲイだから?でしょうか。
長々とごめんなさい。お答えいただければ、とてもうれしいです。」
【中村うさぎの回答】
えーと、いつもならご相談メールに書かれている「前置き」(特に私に対する褒め言葉的な内容)は割愛するのですが、ここでは「社会問題→個の問題」というベクトルが興味深かったので、そのまま掲載することにしました。
何故なら、「社会問題<個の問題」というメンタリティこそが、「オカマ心」の神髄だと思うからです。
ちなみにこの「オカマ心」には女たちも含まれます。
女やオカマたちが抱える「個の問題」「自意識の問題」は、これからの現代人現代社会を読み解くにあたって非常に重要なテーマなのです。
では、さっそく「シモーヌさん」のお悩みを考えていきましょう。
シモーヌさんは自分の肉体の「男性的特徴」に嫌悪感を抱くと言ってます。
でも、自らの性別を否定する「トランスジェンダー」とは違うようです。
自分が男であることには肯定的だが、肉体が男性的であることは好きじゃない。
一見矛盾しているようですが、シモーヌさんの気持ちはわかるような気がします。
私も思春期の頃は、自分の身体が女性的になっていくのがイヤで「神様、私の胸をペッチャンコのままにしてください」と祈ったことがあります。
そしたら、いつもは私の願いなど全然叶えてくれない神様が、何故かこの祈りの言葉だけにはしっかり耳を傾けたらしく、以来、40代で豊胸手術をするまで私のオッパイはペッチャンコでした。
神様のバカ――ッ!!!!
で、今思うに、この願いはですね、「女性性に対する嫌悪」ではなく「成熟に対する嫌悪」だったような気がするのですよ。
つまり「ジェンダー意識」ではなく、単に「大人になりたくない」といういかにも思春期的な抵抗なのではないか、と。
シモーヌさんも、そうなんじゃないかな?
その証拠に、あなたは男性的特徴である「ペニス」には違和感を持たない。
トランスジェンダーの人たちにとっては、その「ペニス」こそ、もっとも否定したい部分でしょ。
何しろ、最終的にはそれをちょん切っちゃうくらいだからね。
したがって、あなたは「トランスジェンダー」ではないと結論づけられるわけだけど、じゃあ「ゲイ」はみんな己の肉体の「男性的特徴」を嫌うかというと、そんなことはない。
てか、むしろ体毛や筋肉やヒゲを好み、自分もジムで鍛えたりヒゲ生やしたりするゲイのほうが多いのは、あなたも知ってのとおりです。