人生相談のお時間がやってまいりました。
今回は「もち」さんからのご相談です。
【コメント登録日】
2013年11月05日 15:24
【相談者】
もちさん
【相談内容】
悩み相談にもしよければ乗ってください。
自分はもうすぐ学生が終わりますが、一度フリーターになります。
(そのあとの将来の夢はあるのでその準備もします)。
自分はほとんどゲイです。見た目・話し方は男で、女願望はありません。
ただ、考え方は女に近く、いわゆる親父的価値観が嫌いで、今後男社会で生きていく自信がなく、それもあって普通に就職するのをやめました。
そして、ゲイ・バイの友人は皆無です。
もともと社交的ではないし、趣味もないため、話を合わせる自身がないです。
今更そのコミュニティーへ行ってうまくやれる自信がないです。
しかも、うさぎさんやマツコさんの話を伺っていると、その世界って結構「見た目至上主義」なんだなって思います。
筋肉質の人とかを求めてきゃーきゃー言ってるような…。
自分はそんな体育会系タイプとは真逆で細見・小柄だし、逆に自分も親父アレルギーの一種のためか体育会系は苦手です。
かといって、逆に女装とかにも興味は全くありません。
男らしくもなければ、女らしくもない。社交性もない。
そんな中途半端な人間なので、居場所がない感じがして、孤独です。
結局何を質問したいのか、と問われれば申し訳ないのですが…。
こんな閉塞的な状況を打開できるかもしれないアイデアなどありませんでしょうか…。
気が向いたら回答してください、よろしくお願いします
【中村うさぎの回答】
もちさん、あなたの言うとおり、ゲイの世界は「見た目至上主義」です。
だから、ゲイたちは実年齢より若く見えるし、短髪・色黒・ヒゲ・筋肉質が多く(←こういう人たちを「イカホモ(←いかにもホモ)」と、我々はからかい半分に呼んでます。)
しかも、そんないかつい外見のくせに大半がオネェなので、カップリングがうまくいかなかったりします(要するにタチ不足なんですね)。
ただ、「二丁目に捨てる物なし」という諺(?)があるように、ゲイは何でも食うっていうか、見た目がパッとしない人でも、世間では嫌われ者でしかないデブでも、ヨボヨボのジジイでも、それなりに市場があるのです。
だから、容貌に自信がなくても、なんとかやっていける世界なんですよ、ゲイの世界は。
若さと容貌が大きな価値を持つ厳しい恋愛市場で生きるノンケ女としては、マジ、羨ましい限りです。
ただ、あなたの場合は、「モテ・非モテ」問題よりも「コミュニケーション障害」問題に不安があるようですね。
「そして、ゲイ・バイの友人は皆無です。もともと社交的ではないし、趣味もないため、話を合わせる自信がないです。今更そのコミュニティーへ行ってうまくやれる自信がないです。」
「男らしくもなければ、女らしくもない。社交性もない。そんな中途半端な人間なので、居場所がない感じがして、孤独です。」
ここなんですね、あなたのもっとも重要な問題は。
でもね、以前にも他の方のご相談でお答えしたかと思うんですが、この世の人々の大半の悩みは「対人関係」すなわち「コミュニケーション障害」問題です。
これはもう、ノンケとかゲイとかいったジャンルを超えた、普遍的な悩みですよ。
「居場所がない」とおっしゃいますが、居場所のある人間の方が少ないくらいです。
ノンケの場合は、それでも「家庭」というものを持つことで、何とか表面的には居場所を確保しているように見えますが、実際のところ、そこが本人にとって真の居場所であるかどうかは大いに疑問です。
あなたの孤独はよくわかるし、生きるのが辛いんだろうなとお察しますが、それはひとえにあなたが他人に期待をし過ぎるからです。
「こんな自分を理解して欲しい、受け容れて欲しい」と欲し過ぎるからこそ、その望みが叶わなかった時に一層の孤独を感じるのです。
そもそも他人なんて、あなたのことなんか、何も理解しちゃくれません。
あなただって、身近な他人のことを、どれほど理解できてるでしょう?
「コミュニケーションの断絶」は、対人関係の基本です。
あなたは自分に自信がない。
だから、他人から傷つけられるのが怖い。
でも、そんなの、お互い様です。
向こうだって、あなたに傷つけられるのを恐れているのです。
どんなに人懐っこくてオープンに見える人でも(いや、そういう人は特に)、内心はビクビクしているものです。
私は「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメが大好きなのですが、その作品がまさに「他者とのコミュニケーション不全」をテーマとした作品でした。
日本人は良くも悪くも「他者との共感」を重要視する、いわゆる「和をもって尊しとする」人種です。
が、それは同時に、「同調圧力」という悪しき現象をも産み出します。
そんな日本社会で「個人」としての自由を確保していくことは、非常に孤独で厳しいことなのです。
アニメの中では、それを「ハリネズミのジレンマ(2匹のハリネズミが、お互いに身を寄せ合いたいのに、自分のハリが邪魔をして永遠に寄り添えない、という喩え)」という言葉で表現し、「AT]フィールド」というメタファで描いています。
そして、最後に「同調圧力」を拒んで「個として生きる厳しさ」を選んだ主人公は、さっそく「厳然たる他者」としての少女(彼女は主人公の戦友であり、ほのかな想いを寄せている相手でもありました)から「気持ち悪い」という壮絶な拒絶の言葉を浴びせられて終わります。
そうなんです。
人は皆、他者が「気持ち悪い」んです。
すべての人間関係は、この「他者嫌悪」から始まるんです。
だから、誰もが居場所を持てず、互いに傷つけ合って、ボロボロになりながら彷徨しているのです。
それが人生というものなんです。
じゃあ、どうすれば、この「個としての孤独」を埋めることができるのか?
本当は永遠に埋まらない物だとしても、何とか折り合いはつけられないのか?
それはね、あなたが他者に傷つけられることを恐れない「強さ」を獲得するしかないと、私は思うんですよ。
本当に強い人間は、他者に傷つけられても拒絶されても耐えられるはずです。
そして、そんな他者の弱さを許し、それによって孤独感や疎外感に陥る自分を「甘いな、俺も」と嗤えるくらいの余裕を持つことが肝要なのではないかと思うのです。
人間はしょせん、己の主観から脱し得ない生き物です。
あなたの主観と他者の主観はまったく違い、観ている世界も風景も価値観もまったく相容れないものです。
でも、そんな自分をさらに外側から眺めて嗤えるくらいの客観性というかメタ視点というものは、努力によって身に着けられるはずです。
ゲイたちは毒舌と自虐のコミュニケーションを得意とする人が多いです。
この「毒舌と自虐」こそが、他者への過剰な甘え(「こんなこと言ったら嫌われちゃうんじゃないか」という無駄な不安ですね)を抑制し、自分を外側から嗤える客観性を鍛えているのです。
嫌われてもいいから毒のある本音コミュニケーションで相手と接し、結果的にホントに嫌われたとしても、そこで傷つくのではなく、嫌われちゃった自分を嗤う。
そうやって自分を鍛えていけば、いつか、あなたも「他者からの拒絶」に傷つかない強さを獲得できるのではないかと思います。
そうすることで初めて、あなたは互いのハリの痛みを恐れずに身を寄せ合える相手を見つけることができるんじゃないかな?
「いてて、いてて! おまえのハリ、痛ぇんだよっ!」とか言い合いながら、それでも笑い合える相手をね。
それって、究極のコミュニケーションじゃありませんか?
もちさん、勇気を出してください。
あなたの勇気が真の強さを生み、あなた自身を救うのです。